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夫が病気になってから。。。

正直6年間でいろいろな事がありました。

大きな病気を乗り越えた夫ではありますが、病気の特性から言っても

これでOKとはいかなくて、長い付き合いになるわけです。

普通の生活をしていてもやっぱり気になるのは夫の体調だったりします。

夫は社会人として精力的に(そんなに忙しくて大丈夫?って思うほど)仕事をしていますがプライベートでの交際範囲や行動範囲はかなり狭まりました。そして元々少なかった私の交際範囲もかなり狭まりました。

息抜きと称して遊んでいただいていたお友達が少なくなりました。

誘っていただいても行く事ができなくて、だんだん疎遠になってしまった方々もいます(本当に申し訳ない事ですが。。。)

もっとまめにメールしてればよかったのかな?なんて今さら思ったりして。。。

もちろん夫の事なのでしょうがないわけですが。。。

この先長い老後に私とお付き合いしてくださる方は減ってしまったかなと思うと寂しくなります。

でも、やっぱり夫が元気でいてくれる事が一番のプライオリティーですね。

また、再発の事をこちらに記入するのをすごくためらいました。

ここを見てくださっていたであろう今は寛解をしている方々に再発の事をお知らせするのは不安を与えてしまう気がしました。

知人・友人には再発の事は話せなかったので今更余計な心配をかけなくてもいいのではと思いました。

しかし発病後、情報の少ないこの病気をネットで検索しても明るいニュースが少なくて希望の光が全く見えなかったあの頃を思い出すと、もし夫の事が同じ病気の方の小さな救いになればいいかなと思いました。

もしかして、今見ていてくださる発病した方や再発した方に。。。。

今夫は元気に仕事に復帰しています。ゴルフもしています。来年はあれをしよう、これをしようと予定を立てています。平穏な日常に戻っています。

もし発病してしまっても、もし再発してしまっても一瞬悲しんだり悲観したりした後は前だけを向いて治療に進んでください。医学は日々進歩しています。5年前にはなかった治療で夫は救われました。

病気に負けない体力をつけて、きっと大丈夫だと信じて前に進んで行って欲しいです。

再再発なんて言葉はもう聞きたくないと思います。

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自宅療養②

退院して自宅へ帰ってきても、体力の回復がまだのためなかなか調子が出ないようでした。

退院後初めての診察は、かなり疲れたようでしたが、以降散歩に出たりスクワットをしたりと努力をしていたようです。

約1カ月半の自宅療養後、8月中旬に仕事に復帰しました。

お刺身やお寿司・アルコールも口にできるようになりました。

1か月に1度の診察とカビや感染防止の投薬はありますが、普通の生活に戻りました。頭髪もすっかり元に戻り、散髪に行くこともできました。

これから1歩ずつ明日へ向かって歩いて行く事になります。

何年経ったら完治と言えるのかはわかりませんが、ゆっくりマイペースで歩いて行って欲しいと思っています。

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自宅療養①

ようやく7月5日退院しました。

3月11日に入院して4カ月ぶりでした。

退院前に移植コーディネーターから指示がありました。

細菌やカビは思わぬところにひそんでいるので、自宅では特に

カーテンやドアノブ・カーペット・加湿器などに気をつけるようにとの事でした。

看護師からは、しばらくは生ものは食べないように。温泉はきれいなところだけ、プールは1年間は禁止。

何かあったらすぐに電話をしてくださいと言われました。

主治医はそんなに心配することはないですが、真夏ですから気をつけて過ごしてくださいとの事でした。

夫は一刻も早く退院したかったようですが、大量のお薬の処方に時間がかかり結局11時頃に病院を後にしました。

自宅に帰ってからは、毎日うがい・手洗い・消毒ととにかく気をつけていました。

最初の頃は味覚がまだ戻らず何を食べても美味しくなかったようですが、段々と正常になるとランチは外食していたようです。

足のむくみはまだ取れず、皮膚も黒ずんだようになっていましたが、それも次第に回復してきました。

本人が一番の懸念だった体毛も徐々に生えてきて真夏日の続く今年の夏はさすがに帽子をかぶっていられず、頭をスキンヘッドにしました。

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治療⑤

夫の身体には顕著な副作用が出ていました。

それでも、口内炎防止のため、海藻のようなどろっとしたものを凍らせた薬(かな?)を食事前に必ず1~2個口に入れていました。

想像もできないほどの辛さだったそうです。

そのおかげで口内炎は全くできなかったのは助かりました。

口内炎ができてしまうと食事をするどころか水さえも飲めなくなるそうです。

6月20日無事生着しました。

後は身体の回復を待つばかりでした。。。

ところがその頃、夫は40度以上の発熱を繰り返しました。約1週間以上続きなかなか原因の特定ができなくて本人もイライラしていました。

ようやく肺の中にカビが繁殖していると言う事がわかり、こちらの治療も始まりました。

免疫力が0になっていたので、通常では考えられないカビや細菌に感染してしまうのです。主治医から2週間徹底的にカビに対する治療をしますと言われ、本人の退院予定が大幅に遅れてしまったようです。

カビの感染ルートかもしれない長期に首につけていたSV装置が外されました。

外された後の傷跡はとても痛々しくて4か月に渡り夫の命を支えてくれた大切なものだったわけです。

変わりの点滴を腕からする事になり、腕は何回もの点滴の差し替えで傷だらけになりました。(毎回同じところからはできないので、少しずつ場所を変えて針を刺しました)

その頃、足にむくみが出てきました。

病気で細くなってしまった足でしたが、象のようになってしまいました。

移植を受けた人はたいていむくみが出るとの事で時間はかかるけれど元に戻りますからとの説明を受けました。

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治療④

6月2日から最終的な治療に入りました。

担当医の説明では致死量に匹敵する抗がん剤で身体の免疫力を0にして、

そこに本人から採取した造血管細胞を移植するという治療です。

抗がん剤は7日間続きました。最初は気丈にふるまっていましたが、段々食欲が無くなり吐き気が強くなりました。

病院食を断り、栄養剤の点滴で過ごす事になりました。

本来はクリーンルームと言う隔離された部屋で行われる治療のようですが、この病院では2人部屋で特にクリーン部屋ではなく、空気清浄機の大きなものがベッドに据え付けられているだけでした。

免疫力が0になるので、私も細心の注意をして病室で過ごしていました。

1日の中休みがあり、ついに6月9日移植が始まりました。この時点で寛解が条件だそうです。

14時から行われました。移植と言っても採取した造血管細胞の冷凍したものを担当医が解凍して、それを点滴から注入して行きます。

夫は3袋分ありました。これはかなり多いらしいです。

点滴の際、磯の香りがしました。これも移植した人達が皆さんおっしゃるようです。残念ながら夫は初発時の放射線の副作用で嗅覚が衰えてしまっているので、解らなかったそうです。。。

研修医や看護師さんがたくさん移植を見に来てくださいました。初めての方はずっとそばにいてくださったり、とてもワイワイガヤガヤとにぎやかな移植でした。

無事に移植も終わり後は生着するのを待つばかりです。

大体2週間くらいだとの事です。

しかし、夫にはこれからが大きな戦いの2幕でした。

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治療③

1回目のSMILE療法は夫の身体に肝機能障害を強く与える抗がん剤だったので2回目はDEVIC療法に変わりました。

DeVIC療法とは、パラプラチン(一般名カルボプラチン)+イホマイド(一般名イホスファミド)+ベプシドまたはラステット(一般名はいずれもエトポシド)+デキサメサゾン、デカドロンなど(一般名はいずれもデキサメタゾン)という難しい名前のお薬の組み合わせでした。

これも初発時にはなかった抗がん剤です。いまは初発時はこれが使われているようです。

前回のSMILEがあまりにもきつかったためか、今回は全く副作用は無く、毎日のウォーキング(散歩?)とスクワットを続けられました。

病棟でも模範的な患者さんとして患者さんの家族の方から夫をほめていただきました。

3週間が過ぎるころ、最終治療のための造血管細胞を採取しました。

透析のような装置を使って4時間、血液から造血管細胞を採取してまた血液を身体に戻すといったイメージです。

幸いにも必要量の2倍以上採取できたとの事で、これはいい事ですよと担当医に言われていました。病巣のある鼻の検査もありました。

6月1日いよいよ明日からの最終治療に向けて最後の外出をしました。

この後、食事も難しくなるほどの辛い治療だとの事で、夫が行きたかったうどん屋さんへ。

その後1時間くらいかけて上野まで歩き博物館を見学しました。

更にもより駅まで歩きました。ウォーキングの成果が出ていて相当な体力が戻っていました。

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治療②

外泊をしていた夫が病院へ帰る日。

外は大雨でした。雷も鳴っていました。

入院した日は大地震で今回は大雨と何かと曰くつきの日になっています。

ところが病院の最寄り駅に着き外に出るととてもいいお天気。

そのお天気にリンクするように体調が回復してきて、食べ物を買いたいと言い出しました。

サンドイッチやスープなど購入して病室へ戻りました。

早速サンドイッチをすべて食べる事が出来ました。

昨日までの調子とあまりにも違ってびっくりしましたが、本当にうれしい事でした。看護師さんも病室に来て「○○さんが食事している!」と嬉しい声をあげてくれました。

やはり帰宅したのは良かったようです。

その日から体調が改善してきて、食欲も出て、肝機能の数値も安定しました。夫も体力回復のためと言って、1日2回病棟内を十周歩いたり、スクワットをするようになりました。

仕事終わりに夫の元へ行くと、運動後の汗だくな姿を見るようになり、ホッとしました。あんなに嫌がっていた病院食も薬だからと食べるようになりました。

夫が体調を悪くしていたのは2週間ぐらい続いていましたが、ようやく次の治療に入る見込みが立ちました。

GW前半は外泊が許されたので、帰宅していました。

特にどこへ行くわけでもなかったですが、自宅で自由に過ごせてリラックスできたのではないかと思います。

後半も外出が許されていたので、日比谷公園や上野などへ出かけて行きました。

そして、5月5日次の抗がん剤に入りました。

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治療①

抗がん剤を始める前に、SV装置を取り付けられました。

これは、長期の点滴に対応するため、直接首から点滴が入るように,そして長期の点滴でも腕と違って取り外しをしないので、血管への負担が少ないとのことでした。

しかし、この装置を取り付けられた姿はとても痛々しかったです。

1週間に一度保護テープの貼り替えがありました。それを何度も見ていたのですが、これが取れる時が治療が終わるときですと言われていました。

抗がん剤はステロイドのデキサメタゾンとメトトレキサート、イホスファミド、L-アスパラギナーゼ、エトポシドという薬剤を投与して行きます。前回の治療の時はCHOP療法という4種類からなる抗がん剤だったのですが、実は夫のタイプにはこの抗がん剤の2種類が効かないと言う事がわかったらしく、それでも夫は5年再発しなかったという風に考えましょうと言われました。

今回のSMILE療法は夫のタイプにはかなり適合していると思われる抗がん剤だそうです。

3月20日、早朝4時から始まりました。初日は特に問題もなく、順調かと思われていましたが、さすがに強い薬らしく段々と夫の身体にダメージを与えて行きました。

食欲が無くなり、吐気が出て、ベッドから起きている時間が少なくなりました。

アスパラギナーゼというお薬を投与される頃には私が行っても全く反応しなくなり、栄養剤の点滴で毎日をつないでいました。

どうやらこのお薬は肝臓にダメージを与えるらしく、夫の肝機能の数値が日々悪くなっていきました。

夫に話をしても返ってくる回答が意味不明で本人もイライラしていました。呂律が回らなくなりました。力が入らなくなりました。

文字がはっきりしなくなりました。

意識がもうろうとしていたらしく、前日の事もまったく記憶がない状態になりました。メールの返事も無くなりました。

どうすればいいのか、どうしてあげられるのか全くわからず病院に行くのも辛い毎日でした。

看護師さんが心配するほどダメージが大きくなっていきました。

夫が家に帰りたいと言い、主治医に夫を家に帰して欲しいと頼みに行きました。

主治医は案外あっさりと「いいですよ」との事で週末帰宅する事になりました。

病院から最寄り駅まで通常なら5分で行けるところが20分以上かかりました。計画停電で止められていた地下鉄のエレベーターの横を延々と登っていきました。それでも病院から自宅まで車で帰ろうと言っても自分で帰ると言って頑張ろうとしていました。

帰宅してもずっと寝るばかりで食欲も戻らなく発熱もあり病院に居た方が楽だったかもしれないと帰宅させた事を後悔しました。

夫も早く病院に帰りたいと言い出し、自宅にいても不安がかなりあったようです。

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再発⑤

入院当日に予定されていた検査がすべて地震のためキャンセルになったので、翌週の月曜日から検査で忙しい日々が続きました。

入院当初2人部屋だったのですが、4人部屋に移りました。

最初の病院で生体検査をしてもらい再発が発覚したのですが、こちらの病院での生体検査で病気の原因が見つからないと言う事でもしかしたら間違いかも・・・と少し期待したのですが、やはり間違いないとの事でした。

かかりつけの耳鼻科医は最初も今回も本当によく気がついてくださったと思います。

あの時耳の閉塞がなければきっと気がつかずと考えると恐ろしくなります。

その週の半ば検査も終了との事で一時帰宅が許されました。

まだ何の治療も始まっていないのですが、夫も地震後の自宅が心配だったようで2泊3日で戻ってきました。

その間、自宅の地震に弱そうなところの対応などをしてくれました。

そして、3月20日朝4時よりSMILEと言う抗がん剤の治療が始まりました。

最初の時にはなかった治療法です。医学は日々進歩しているのですね。

これから戦いは始まりました。

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再発④

入院の日

14時に入ってくださいとの事だったので、

しばらく美味しいものが食べられないと言う夫と病院近くのイタリアンで食事をしました。

二人とも妙にはしゃいだ振りをしました。

これからの事を考えると息がつまりそうで食事ものどを通らない日が続いていたので、この日だけは普通に過ごそうと考えて余計不自然になったんだと思います。

病院に到着して病室に案内されオリエンテーションがあり、薬剤師の方が夫にご挨拶に来てくださっていたその時、ビルが揺れました。

長い間ずっとビルが揺れていました。

官庁街のその病院から見える景色がすべて揺れていました。

揺れが段々大きくなっていきました。

ベッドのそばで立っていた薬剤師の方と私も立っていられなくなりました。

思わず夫と手を取り合っていました。

病院はバタバタしていましたが、病室は静かで二人でテレビをずっと見ていました。状況が次第に悪化して行く様子を黙ってじっと見ていました。

途中主治医がいらして、「びっくりしましたね。でもここは大丈夫ですよ。奥さんはどうしますか?」っておっしゃったので、地下鉄が止まっているのでしばらく様子をみますと言って。

入院した日にこんな事が起きるなんてととても嫌な気分になりました。

結局地下鉄は動かなかったので、病院に泊めていただきました。

翌朝一旦自宅に帰るため向かった駅は帰宅困難者で大変な混雑ぶりでした。

自宅は何の被害もなく、町も静まり返っていました。

こんな日に夫が入院したんだと思うととてもつらい気持ちになりました。

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再発③

新しい主治医の診察が2月26日にありました。

彼は「心配することはないですよ」と言って診察方針を説明してくださいました。

彼が学会から帰る日以降で入院の予約をしてくれました。

これがとんでもないタイミングになるのですが・・・

今度はすべて入院治療になる事、大体3~4か月かかるとの事で

治療の厳しさが伝わってきます。

その日から夫は4か月以上休む事になる仕事の整理を始めました。

職場の人たちに後を頼み、迷惑をかけないようにすべての指示をして毎日忙しく過ごしていました。

病院から入院日の連絡が来ました。

いよいよだと思いました。

心の中ではものすごい不安と戦っている夫でした。

何も手につかない毎日が過ぎていました。

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再発②

その当時、かかりつけの大学病院は多剤耐性緑膿菌が検出されたという事で化学療法ができないとの事でした。

そのため、当時の主治医が受け入れ先を探してくださる事になり、その間にできうる検査をすべてやりましょうと言う事になりました。

それほど、緊迫した状況だったんだと思います。

結局1週間ほどで主治医から連絡があり、検査のすべてのオーダーと新しい病院の紹介をしてくださいました。

幸い新しい病院は初発時の入院の際に主治医だった方がいらして、夫を覚えていてくださり、そちらの病院で受け入れて主治医になってくださると言う事で、不安の中に一抹の光が見えた気がしました。

それでも、ネットで調べる再発はいい情報が何もなくて、暗い毎日でした。

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再発①

夫の診察のため、病院へ向かっている途中、義兄から電話があり

義父が危篤との事。

夫の病院へキャンセルと次の予約をして義父の元へ。

翌日義父は帰らぬ人となりました。

義父の葬儀やその後の忙しさにかまけていました。

夫は風邪をひいていると思っていました。

49日の日にも微熱があったり、鼻が出ていたりと風邪の症状だと思い込んでいました。鼻血も出ていましたが、いつもの事と思っていました。

年明けて、旅行へ行きました。

飛行機の中で夫の耳が閉塞してかなり辛そうでしたが、到着地の耳鼻科へ行きなんとか対応してもらい3日間楽しい旅行をしました。

帰りの飛行機でも閉塞があり、翌日かかりつけの耳鼻科へ行きました。

しかし、到着地の耳鼻科の時とは違い、なかなか改善せず、ほぼ毎日耳鼻科へ通ってました。

医師がかかりつけの大学病院で精密検査をしてもらった方がいいでしょうとのことで、ちょうど診察日が近かったため、生体検査になりました。

正直二人とも大丈夫と考えていました。

耳鼻科医からも感染症でもありうる症状ですよと言われていました。

2週間後に大学病院の医師から「再発です」と告げられた時は、あまりの事に二人とも言葉を失いました。あの日から5年経っての再発でした。

どうやって帰ってきたか記憶にありません。

それでも夫は早退して残してきた仕事を自宅で淡々とこなしていました。

私はどうやって夫に涙を見せないでいられるかとそればかりでした。

悲しみの種が芽を出してしまいました。

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あれから・・・・

約1年半前、夫の父の体調が悪くなり、

 

父の事で週末はほとんど実家へ行くなど

 

仕事の忙しさだけでなく、週末も休むことができない日々が続きました。

 

 

そして、義父が他界しました。

 

肺がんでしたが、本人は病気である事を知らずに静かな最期でした。

 

 

今考えると私たちはあまりにも忙しすぎたと思います。

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